NAGOOOOOYA〜私をオタクに変えた街〜

ついに、はてなブログを開設してしまいました。

 

オタクと呼ばれる界隈に足を踏み入れてしまったからには、1つくらい書いてみたい…と憧れていたはてなブログ

 

チキって書かぬまま、好奇心だけを沸々と胸の中で育み、早4年目。

ですが、職場の異動、ナゴヤドーム直前、2018年の終わり、平成の暮れ…。

 

いつ筆を取るんだ…?

今でしょ!!!(2013年流行語大賞)

 

ということで、今、筆をとっております。

 

…と、意気揚々と書き始めたものの、いざとなると何を書いていいものかわからない!!

これが本田くんの言っていた、産みの苦しみってやつかあ〜。

 

そう、私は、今ぬるっと登場した、本田くんこと本田剛文さん、そして彼が所属するBOYS AND MENというグループに、名古屋で出会ってしまったんです。

 

結論から言うと、この出会いは私にとってすっげ〜劇的な出来事になったわけです。

 

振り返ると、劇的ゆえに感情も忙しかったなぁと思います。でも出会えてよかったと思うことの方が圧倒的にたくさんあって。

その辺をふわっと、出来ればさらっと記せたらなぁと思っています。

 

前置きだけで既にさらっとしてねぇよ、というツッコミは左から右へ受け流すの歌です。

あれは右から来たものを左へ受け流すの歌か…。

 

はい。

まず、そんな私なのですが、

春といえばツクシを摘み、

夏といえば魚を捕り、

秋になれば彼岸花を傘でぶっ飛ばし、

冬が来れば畦道の霜を踏みつける、

みたいなド田舎に生まれて、四季折々を肌で感じながら高校卒業まで過ごして来ました。

 

ここには何もない、こんな田舎出てってやる、なんてギターを片手に上京……

しそうなものですが、私は返って不便さに愛着を持っているタイプの人間でした。

むしろ「これだから都会は〜」が口癖、都会を斜に構えてみていました。

 

基本的には敷かれたレールをドヤ顔で進んでいるような人間でしたが、世間様がよしとするものにやすやすと乗っからないぞ、という、自分なりのイキりだったのだと思います。

 

もちろん、その頃主流になりつつあった、特典会のために複数枚CDを買わせる手法や、SNSを介して友達を作る、なんてことは、自分の中で異国の文化みたいなものでした。

 

そんな私が、大学進学を機に愛知で一人暮らしを始めました。

案の定、名古屋という都会が身近にある暮らしはいまいちしっくりこず、卒業したら田舎にそそくさと戻ろうと考えていました。

 

そう、あの日までは。

来たるあの日、それは、2015年2月28日の日本ガイシホールでの一万人ライブです。

 

当時、BOYS AND MENの冠番組であった、ボイメン☆騎士を観ていた友人から、半額出すから一緒にライブに行かないかと誘われたのです。

 

前述のように、流行りに対して斜に構えるタイプでしたが、幼少期から歌やダンスが好きで、中高生の頃は襟足が長い櫻井翔さんに夢中でしたから、まあ、アイドル…エンターテイメント界隈に興味はあったわけです。

 

ご飯に誘われて表に出てくる某イケメンゴリラよろしく、好きなものをチラつかされると重い腰もすんなり上がるものです。

 

そうして、一万人ライブに行くに至った私。

気が付けば縁もゆかりもなかった若い男子たちの一生懸命な姿に歓喜あまって涙。

翌週からは熱田イオンに足を運ぶ日々が始まったのです。

 

そこからはあれよあれよとオタク街道を転げ落ちていきました。

 

あれほどぶつくさ言っていたCDも、いちま〜い…、にま〜い………、20から30ま〜い……。

どこかの井戸の底で皿を数える女も、優先エリア入場のようにカウントしたくなる程、たくさん購入するようになりました。(言いたかっただけです。)

 

そして、会える推しのいる生活は、想像以上に素敵なものでした。

なんか知らんけどすっげ〜活力を貰えました。

 

はまり始めた頃は、実習や資格試験があった時期で、その翌年からは社会人生活がスタートしました。

環境の変化などから、悩むことも多かった時期だったように思います。

 

その頃の本田くんは、「グループの成長に比べて自分の成長に自信がもてない」と新規のオタクからみても、何だか苦しそうで、もがいている姿が印象的でした。

 

そんな推しの姿は、どこか自分自身と重なるようであり、自分の道しるべのようでもありました。

 

雲の上の存在であるアイドルというよりも、等身大のヒーローに近い感覚でしょうか。

 

月火水木金働いて週末はヒーローに会いに行く、とはSHISHAMOさんも上手く歌ったものです。

 

ちなみに入職当時は結構やさぐれていたのですが、何とか腐らずここまでこれたのは、週末に元気と勇気と癒しと笑顔をくれた、ヒーローならぬホンディーのお陰だなぁと思っています。盲目。

 

そしてもう一つ、素敵な出会いがありました。SNSを介して出来た友人です。

 

SNSを始め、フォロワーさんと会うようになるまでには、やはり紆余曲折あったのですが、これ以上長くなると流石に書く気も読む気もなくなると思うので、ここでは省略します。

 

初めてフォロワーさんと会った時は、何とも不思議な気持ちでした。

ツイートを介して、言葉や考えに触れているからなのでしょうか。

昨日まで顔も知らず、本名もわからない相手であるはずなのに、価値観や波長が合い、心地よい。

そして何より、皆さんめっちゃおもろい。会話が漫才。

 

その後も、何度も家に泊まりに来てくれたり、仕事終わりに飲んだり、旅行に行ったり、実家に行ったり…。

 

毎日顔を合わせる職場の人たちよりも、将来の話や本音だって、たくさん話したと思います。

 

またフォロワーさん以外にも、ガイシに誘ってくれた友人や、これ以上仲良くならないだろうと思っていた友人とも、ボイメンをきっかけにして仲が深まりました。

まさか家事をしながら何時間もライン電話を繋ぐ仲になっているとは思ってもいませんでした。

 

仕事で疲れたときも、私の居場所でいてくれて、これからも変わらずずっと仲を深めていきたいと思える人たちに出会えたことに、素直に感謝しかないです。

 

そして最後にもう一つ。

名古屋の街が好きになりました。

 

私ごとですが、11月中旬から地元に転勤になり、愛知を離れることになりました。

転勤がほのめかされた直後のライブでは、本田くんと友人たちから離れてしまうことが寂しすぎて、涙がちょちょぎれてしまうくらいには、好きになってまいました。

 

素通りしていたオアシス21も、テレビ塔もナナちゃん人形も、通ればあのときのイベントやあの歌詞を思い出し、心踊る。

 

よく、"君がいれば世界が色づく"的な歌詞がありますが、好きという気持ちと思い出が加わるだけで、人間いろいろなものの魅力に気づくものだなぁと実感しています。

 

今では、

春といえばリリイベの幕開け、

夏といえばCBC夏祭り、

秋といえばメーテレ秋祭り、

冬になれば立て続けに箱ライブ、

とまで思うようになりました。

 

田舎に戻り、再び肌で四季折々を感じる日々ですが、名古屋での春夏秋冬も、同時に思い出したりします。

 

そんな時、馴染めなかった名古屋も、すっかりもう一つの故郷になったなぁと思います。

もしアナザースカイに出ることになったら間違いなく名古屋ですね。出ないですが。

 

そしてそんな劇的な思い出をくれた、BOYS AND MENさんのナゴヤドームライブまで、残るところ14日となりました。

 

大好きな推しがナゴヤドームで歌って踊る姿を、大好きな友人たちと見られる、というだけでひとつ満足しているみたいなところがありますが、どうせやるならば、もう最高に輝いて欲しいです。

 

もし何気なくライブに来た人の中に、名古屋なんて見栄っ張りなビルの灯りしかない、なんて思っている人たちがいたら、都会の灯りの何倍も輝いている男子たちが名古屋にいるという事に気がついて欲しいなぁ、なんて思ったりします。

 

何とも夢見がちな文章になってしまいましたが、もともと夢を与えてくれる界隈だもの、ちょっとくらい夢見てもいいじゃないかということで。

 

田舎に戻ったがゆえに、名古屋にも出にくくなってしまったし、もう年齢的にも必死で全てを追いかけたい、という感じでもなくなってしまったので、現場に行くことは少なくなってしまうかもしれません。

 

ですが、この出会いがもっと素敵なものになっていくように、自分のペースで見守り続けていければなぁと思っています!

 

腐る程長くなってしまいましたが、ここまで懲りずに読んでくださった方、本当にお付き合いありがとうございました。

 

来年も素敵な年になりますように!!